人口1400。小さな町が挑んだエゾシカ大事業


躓きはしたものの…北海道エゾシカ史に残る1ページ(2021.4.9)


これは、増えすぎたエゾシカの農林業被害に悩まされてきた小さな町が、心機一転、エゾシカを有効活用することで自然との共生、経済活性化を目指し、産官民金でのコンソーシアム(共同事業体)を立ち上げ、事業に取り組んだものの、僅か3年を待たずして敗退した出来事である。だとしても、エゾシカ問題解決という難題に取り組んだ町や勇気を以て係わった方々への称賛を惜しむわけにはいかない。

困難に挑んだ事実は、まぎれもない北海道エゾシカ史の1頁。永く残っていく筈だ。


当HPが、敢えて躓いた事例の顛末を記録するのは、エゾシカ産業が北海道にとって大切な事業であるからだ。とりわけ、当該事業が導入した解体所と皮なめしが一体化した施設は、「日本で一つ」という画期的なものであり、破綻で失われたことは北海道にとってあまりに惜しい。未来の何処かで夢を引き継ぐ誰かが現れたとき、分析すべき幾つもの情報を含む資料として当記録が役立っていくに違いない。 


記録にあたっての情報源は、新聞の記事のみとした(北海道新聞・北都新聞)。保存した記事を擦り合わせ、時系列で辿り、事業団体の名称は全て仮称した。私たちの見解、コメントは控える。現場を知らず、遠隔地に住む都会の消費者が口をはさむ余地はない。


20178月。道北のN町は湧いた。人口約1400名の小さな町。ここでシカの有効活用を目指す町と札幌の2社が連携、エゾシカ活用事業が開始されるのだ。解体所と皮なめしが一体化して稼働する施設は日本で初めてのこと。施設名は「リプロベース」。リプロベースは英語の「リプロダクション(再生)」と「ベース(拠点)」を合わせた造語。「毛皮向け以外でシカの革なめし加工を行う施設は道内で初めて」と道エゾシカ対策課も期待していた様子が当時の新聞から読み取れる。操業開始に先立ち、町などの関係者向けの見学会も開かれた。


当該工場を拠点に年間300頭のシカを捕獲・処理し、有効活用を目指す。肉は食肉用に真空パックにして地元や札幌など首都圏で販売。ペットフードにも加工する。皮は鞣して小物入れや犬のリードなどを作る。更に、空き家を活用したレストラン、シカを放し飼いにする観光牧場を作る計画もあったようだ。プロジェクトは、地域貢献という未来図を描いていた。「地域に貢献しながら当地の産業として根強く残せるように継続していきたい」という従業員の意欲に満ちた新聞コメントがある。



だが、町を挙げての事業はわずか2年で頓挫する。何があったのかは当事者のみが知ることだ。

 実際に事業を運営していたのは札幌の2社。犬のしつけや訓練を行う「B社」とエゾシカ革製品製造の「C社」である。主体事業者は「B社」で、資金の出入を担当する。資金は国の交付金2500万円、町の補助金1892万円、地元信用金庫の融資3000万円を受け、総事業費7300万円でスタートした。


20168月。主体事業者「B社」が総務省への交付金申請。同じくB社が12月に兵庫の機械会社に皮なめし加工機械を発注。同月、国の交付金の一部が支払われた。

1年後の20178月。エゾシカ解体加工施設が操業開始する。

1712月。B社が町に事業撤退方針を伝えている。施設オープン後、わずか3か月後の出来事だ。187月には、B社が中国人経営者に交代。195月、兵庫の機械会社が、事業スタート時に販売した皮なめし加工機械の代金未納を理由にB社を提訴している。



2020.4.10(金)、4.11(土)の北海道新聞(朝刊)は、「シカ解体施設 残骸放置」との見出しで破綻を伝えた。エゾシカ解体処理加工場の敷地と建物内に、シカの頭部などの数十頭分の残骸が腐敗した状態で放置されていたことが前日9日に分かったという。施設は20201月頃に操業停止、会社は破産手続きに入るため、町が残骸を処分するという。9月、B社が旭川地裁に破綻申請するという結末を辿り、一連の事業は終結する。一方のC社については、運営資金について係わりを持っていなかったせいか記事では触れられていない。


後記:開拓には困難が付きまとう。情熱だけで物事は動かない。破綻後の新聞は「工場が稼働して以降の3年間、B社の年間売り上げは年間数十万に過ぎず、数百万円の赤字が続き、事業として成り立っていなかった」と語る中国人経営者の苦渋と共に、「事業者間の連携が巧くとれていなかったこと」や「年間300頭のシカ捕獲はムリだった」ことなどを住民の目を通して伝えている。(2021.4.9記)