◇◆◇中世・近世の鹿革製品


(元北海道大学農学部 竹之内一昭) 2016.01.11


毛皮や革は大昔から天候や動植物からの身体保護のために使用されてきた。その後、甲冑や武具として使用された。鎌倉時代になると、戦闘に実用的な鎧から威儀化した装飾性の高いものに変化した。春日大社や櫛引くしひき八幡宮(八戸市)の「赤あか糸いと威おどし鎧」(共に国宝 鎌倉時代)は豪華なことで有名であるが、これらの胴や胸、肩などに牡丹獅子文や菖蒲文が染められた絵韋えかわ(画革)が使用されている。絵韋は染色性の良い鹿革に型紙を用いて藍や紅で摺り染めしたものである。胴の弦走つるばしり韋は弓ゆん弦づるの走りをよくするというような実用性と美しい文様の装飾を兼ねている。菖蒲革は音が「勝武」や「尚武」に合い、武士に好まれ甲冑や武具に使用された。鹿革を煙でいろいろな文様に染めた熏ふすべ革がわも甲冑などに多く使用されている。


狩猟や騎射の時に、足を保護するために穿いた行騰むかばきは古くは布帛製である。しかし平安時代以降は熊皮が使用され、その後の鎌倉時代には鹿皮が一般的に使用された。鎌倉幕府の年代記である「吾妻鏡」によると、源頼朝の入京の際(1190年 建久元年11月)の装束は夏毛の行騰・染羽の野矢・水豹の障あお泥りとある。夏毛は鹿の毛皮のことであり、染羽は鷲の尾羽である。鷲羽や水豹皮、羆皮は蝦夷が島(北海道)の産物であり、これらは陸奥(青森・岩手)を通じて都にもたらされていた。太刀の鞘を保護する尻鞘に、虎や豹、熊、鹿等の毛皮が使用された。京都の時代祭りでのやぶさめ列(鎌倉時代)の武士は鹿皮の行騰を穿き、虎皮の尻鞘をはめた太刀を腰に差している。


     夏毛          冬毛
     夏毛          冬毛

  江戸時代になり、諸大名が鞍馬を飾り、武人が革袴や革足袋を用いるようになった。信長所用の革袴が捴見寺(近江八幡市)に収蔵されており、その素材は記されていないが、鹿革であろう。都市化した江戸城下において、大きな火災が度々起こるようになり、大名火消や町火消が生まれた。大名は華麗な火事装束を着用して馳せ参じる慣わしであった。その装束は威儀服として羅紗らしゃや羅ら背せ板いたなどの毛織物が一般に用いられたが、革製のものもあり、光圀の火事羽織は革製であった。火消人足(鳶の者)の装束は木綿製で刺子が施されているが、その頭や武家の装束には革が多く使用された。明歴の大火(1657年)の時に、浅野因幡守が熏ふすべ革かわ(鹿革)の羽織を着用していた。この大火以降、革羽織が好んで着用され、後に鳶の者や庶民も着用した。高山の屋台会館には大名火消の鹿皮大梃おおでこ衣装(羽織、胸当て、袴)が展示されている(2004年筆者検分)。ドイツ皮革博物館には、袖の大きいT字形で着丈97㎝、裄67㎝の衿の長い鹿革(熏革)の火事羽織が収蔵されている。この鹿革は大きさから中国あるいは東南アジアのものと推定されている。


「和漢三才図会」には、足袋は主に鹿革で作られた半靴ほうかであり、単皮あるいは踏皮と記されていた。日本産の鹿革は薄く小さいので、外国産の物が上とされていた。猿や犬の皮も使用された。室町時代には、武人が革足袋を履くことが礼となり、戦の時には熏革を用いた。江戸初期頃までは、女性の多くは紫革を用いたが、白革や浅黄革も用いた。一方、男性は主に白革を用い、さらに小桜紋などの模様のある革も用いた。明暦の江戸大火の後は、革羽織などの火事装束の需要が増し、革が高騰し、木綿の足袋が作られるようになった。江戸前期の寛永の頃は木綿足袋が贅沢品であり、普通は革足袋が使用された。江戸中期には、革足袋が廃れ、木綿足袋が普通になった。家康所用の白足袋4足と宗春(尾張七代)の火事装束用乱星文みだれほしもん熏革足袋が徳川美術館に収蔵されている。これらは筒長で鹿の革紐がついている。


 火打袋は古くは革または布で作り、武士が陣中や狩猟の時に腰に下げたが、江戸時代にはそれに由来する巾着や胴乱、鼻紙入れ等が製造され、庶民も使用した。もとは銃弾を入れた胴乱は煙草入れや銭入れ、薬入れ等にも使用された。懐中に入れる煙草入れは当初油紙製であったが、その後、革等が用いられた。銭入れ(早道はやみち)や鼻紙入れにも革が使用された。これらの袋物には印伝革が好まれたが、貴重であり、その他の染革や織物、羅紗等も用いられた。本来は甲冑に用いられていた菖蒲革は近世に至り、刀柄や鞘の下げ緒に用いられ、また巾着や煙草入れ、鼻紙入れに用いられた。 


 撮影:西興部村前村長 高畑秀美氏
 撮影:西興部村前村長 高畑秀美氏

日本の伝統的な革と称される鹿革の「甲州印伝革」は脳漿鞣しに次いで燻煙し、さらに漆付けをしたものである。しかし昭和40年代には、脳漿の異臭を避けることや革の耐水性向上などの理由により、ホルマリン鞣しが行われるようになった。タンニン鞣しやクロム鞣しは明治維新以降、西洋からの導入によるものである。  

鹿皮は古代より武具や日常品に使用されてきた。今日でも服飾関係ならびに貴金属・ガラスなどの汚れ落としに利用されているが、その原皮のほとんどが外国産である。最近のエゾシカ皮の活用として、「北海道エゾシカ倶楽部」のHPに、高瀬さんの独創的なバッグ類、平向さんの高品質の膠が紹介されている。膠は一般的には牛や豚の皮から製造されるが、鹿皮からの例は初めてと思う。

 


参考文献: 黒川真頼「工芸志料」;不明「人倫訓蒙図彙」;寺島良安「和漢三才図会」)