エゾシカは貴重な薬用資源 2020.5.29


鄭 権(薬学博士 北海道鹿美健 代表)


薬学博士 鄭 権氏の写真
薬学博士 鄭 権氏

エゾシカは北海道を代表する大型哺乳類です。平成30年度の推定生息数は約66万頭となり、近年、エゾシカの分布域は急速に拡大し、生息数も増えています。これに伴い、農林業被害や交通事故の増加などが深刻な社会問題となっています。エゾシカによる農林業被害額は、昭和60年代頃から急増し始め、平成23年度には64億円に達しました。その後行政による各種対策の結果、減少傾向が見られましたが、平成30年度は38億6千万円となり、依然として高水準にとどまります(下註1)。


こうしたことから、エゾシカは資源としての有効活用が求められています。北海道では、食肉としての活用を重点的に進めていますが(下註2)、私はエゾシカを大切な森林資源として、食肉以外にも漢方薬材として活用の可能性があると考えました。



藤女子高校 湯村晃尚美さん撮影の写真
藤女子高校 湯村晃尚美さん撮影

 

エゾシカ(Cervus nippon yesoensis)とは、シカ科シカ属に分類されるニホンジカの亜種です。「ニホンジカ」と呼ばれますが、日本だけに生息するわけではありません、中国やロシア、ベトナムまでの東アジアに広く分布しています。漢方の本場・中国では、鹿は縁起のいい霊獣とされ、食肉としてより、貴重な漢方原料として大切されています。鹿は滋養強壮効果が高く、その価値が広く認知され、鹿に由来する生薬(しょうやく)、医薬品が数多く流通しています。



五十二病方の写真
五十二病方

五十二病方

神農本草経(イメージ)の写真
神農本草経(イメージ)

鹿は生薬として最も長い歴史があります。鹿の薬用を記した古代文献は、中国最古の医書『五十二病方(ごじゅうにびょうほう)』及び中国最古の本草書『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』から始まりました。『五十二病方』には「膠(にかわ)」の処方が記載され、『神農本草経』には鹿角から製した鹿角膠は、「白膠(はくきょう)」の名で『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』の上品〔じょうほん。養命薬(生命を養う目的の薬)で、無毒で長期服用が可能。身体を軽くし、元気を益し、不老長寿の作用がある。「日本薬学会HPより」〕として収載され、傷中労絶(しょうちゅうろうぜつ)、腰痛るい痩(ようつうるいそう)を主(つかさど)り、補中益気(ほちゅうえっき)の効能があり、婦人の閉経や不妊、止痛安胎(しつうあんたい)に用いられると記されています(下註3)。現代中国において、医薬品国家標準の『中国薬典(2015)』にも鹿角膠が収録され、2500年もの間使用され続けています4。



中薬大辞典の写真
中薬大辞典
中薬大辞典の写真
中薬大辞典

また、補精強壮薬とされる高級品生薬・鹿茸(ロクジョウ)もよく知られています。鹿茸は、ニホンジカあるいはアカシカのまだ骨質化(こっしつか)していない幼角です(下註3)。古来薬用人参と共に漢方高貴薬の双璧として貴ばれ、中国本土や香港の漢方薬局の看板に「参茸(さんじょう)」の2字を掲げてその標識とされるほどです。その鹿茸も『神農本草経』から歴代の本草書に収載され続け、悠久のな歴史がある生薬と考えられています(下註5)。



飛鳥時代(611年) 

中国だけではなく日本でも、鹿の薬用の歴史は古くからあり、飛鳥時代には既に貴重品として珍重されています。『日本書紀』には「推古天皇十九年(611年)五月五日、菟田野(うたの)で薬狩りを行った」との記載があります。「薬狩り」とは、鹿の幼角である鹿茸(ろくじょう)を取るための鹿狩りであるとか。その薬狩りは、推古天皇の時代に、十九年、二十年、二十二年の夏五月五日に三回挙行されたという記述があり、その鹿茸を採取する日も「薬日(くすりび)」として日本書紀に記されています。


奈良時代(756年) 

奈良の正倉院には、光明皇后が献納した聖武天皇の遺愛品とは別に、薬物も納められました。「東大寺献物帳」のなかの一巻である「種々薬帳(しゅじゅやくちょう)」に、60種類の薬物名と、その数量および質量などが列記され、巻末には「病に苦しんでいる人のために必要に応じて薬物を用い、服せば万病ことごとく除かれ、千苦すべてが救われ、夭折(ようせつ)することがないように願う」といった願文が記載されています。60種類の薬物の中に、白竜骨(ハクリュウコツ・化石鹿の四肢骨)と、竜角(リュウカク・化石鹿の角)、2種類の鹿由来薬物があります。


平安時代(799年)  

日本最初の薬物書『薬経太素(やくきょうたそ)』(799年)も、(鹿茸)温味甘鹹(おんみかんかん)。上の毛を焼きて、薄切て吉、酒に二夜付て焙用、腎無力(じんむりょく)と腰の痛、膝無力に吉」と記され、日本産ニホンジカは古くから薬効があるものとして認識されていることが明らかになっています。


平安時代(905年~) 

平安時代の法令集『延喜式』の巻三十七には、「典薬寮(てんやくりょう=宮中の医薬をつかさどった役所)」で用いられた薬のリストが書かれています。また、当時の日本各地から朝廷に納められた物品リスト『諸國進年料雜藥(しょこくしんねんりょうぞうやく)』に「美濃國(大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場し、光秀が生まれ育った国)63種(中略)鹿茸7具(中略)、信濃國17種(中略)鹿茸10具(中略)、播磨國53種(中略)鹿茸1具(中略)、讃岐國47種(中略)鹿茸,鹿角各5具」と記載されています。鹿産品は平安時代にはすでに重要な交易品であったと考えられます。

鹿茸について、日本薬局方に収載されていない生薬の規格を決める「日本薬局方外生薬規格(にほんやっきょくほうがいしょうやくきかく)2018」の規定では、「本品は Cervus nippon Temminck,Cervus elaphus Linné,Cervus canadensis Erxleben 又はその他同属動物 (Cervidae) の雄鹿の角化していない幼角である」としていますが、現在日本産二ホンジカは医薬品として流通されていません。我が国に輸入される鹿茸は、原材料は中国およびシベリア産のシカに限られ、特に中国産二ホンジカが主です。しかし、その中国産二ホンジカは、実は北海道に生息しているエゾシカと同じ遺伝子を持っているとの論文が発表されています(下註6)。


鹿に由来する生薬は、鹿茸のみでなく、鹿膠(ロクキョウ)、白膠(鹿角膠)(ロッカウキョウ)、鹿角霜(ロッカクソウ)、鹿角(ロッカク)、鹿胎(ロクタイ)、鹿腎(ロクジン)、鹿筋(ロクキン)、鹿皮(ロクヒ)、鹿骨(ロクコツ、ロッコツ)、鹿尾(ロクビ)、鹿血(ロクケツ、ロッケツ)など、十数種があります。鹿は古来から捨てる部位が無いほど全身が宝であると言われてきました(下註3)。

漢方薬の宝庫といっても過言ではないエゾシカを、私は食肉だけでなく、生薬や健康食品としての活用を進めていきたいと考えました。

<次回以降では、鹿の各部位の薬効や利用価値について詳しくご紹介したいと思います。>


<参照文献>

1. 平成30年度エゾシカの推定生息数等について 北海道自然環境課エゾシカ対策係・活用係

2. エゾシカ有効活用のガイドライン 北海道

3. 中薬大辞典

4. 中華人民共和国薬典 2015年版一部

5. 動物成分利用集成 水産・蛇・昆虫・漢方薬篇

6. ロクジョウ(鹿茸)原材料種および亜種の再検討 永田純子ら

Cervus nippon Temminck  ニホンジカ

Cervus elaphus Linné  アカシカ

Cervus canadensis Erxleben  アメリカアカシカ、ワピチ 

撮影:藤女子高校 湯村晃尚美さんの写真
撮影:藤女子高校 湯村晃尚美さん