人類の前に立ちはだかるもの。それは感染症か!


「感染症と文明」(山本太郎著 岩波新書)より


中国発の新型コロナウイルス肺炎の感染者が日を追って増える中、6年前に読んだ「感染症と文明」(山本太郎著)岩波新書が脳裏をかすめる。人類の前に立ちはだかるもの。それは感染症なのか。

当時は、エボラ出血熱が大流行。世界の脅威だった。次の言葉が壮絶な印象を残した。「生物にはそれぞれ、生きていく上で不可欠な環境がある。生物は生態系の中で、こうした環境を巡る争奪戦を行っている。」(P35 1213行)

 我々は病原体という生物と如何に共存すべきなのか。是非とも手に取ってみるべき一書と思う。


20141115日、20か国・地域首脳会議(G20)は、エボラ出血熱の封じ込めに全力を挙げる姿勢を打ち出した。経済問題を討議するG20で感染症の緊急声明を採択するということは、異例のこと。エボラ熱の流行が国際社会にとって、如何に大きな脅威であるかを示すものだ。エボラ出血熱について記載があるので、その一部を引用する。



19766月末、スーダン南部の町ヌザラで、原因不明の病気で多くの住民が死亡した。最初、綿工場で倉庫番の男が発症し、つぎつぎと感染が拡大した。(中略)研究者たちが一斉に原因究明に取り組んだ。三か月後、新たなウイルスが発見され、ヤンブクのそばを流れる小さな川の流れから「エボラ」と命名された。しかし、謎は残った。エボラはどこから来たのか。(中略)エボラ出血熱は、1976年の報告以来、ザイール、スーダン、コードジボワール、ガボン、ウガンダといった国で流行した。総計で約1800人が感染し、約1200人が死亡した。ウイルス亜種はそれぞれの流行で異なり、各流行で異なり、各流行に疫学的な関連性は認められていない。エボラ出血熱が、散発的な流行として終わるのか、やがてヒトという種に適応をはたすのか、そのときエボラの高い致死性がどのように変わるのか、今のところこうした疑問に答えられる者はいない。(P-169 3行~P-172 5行)。  


ところで、「感染症と文明」の著者はプロローグでこう語る。

単に病原体を根絶することで、それを達成することはできない。病原体の根絶は、マグマを溜め込んだ地殻が次に起こる爆発の瞬間を待つように、将来起こるであろう大きな悲劇の序章を準備するにすぎない。根絶は根本的な解決策とはなりえない病原体との共生が必要だ。たとえそれが、理想的な適応を意味するものでなく、私たち人類にとって決して心地よいものでないとしても。」(P-155行~9行目)


また、エピローグではこうも言う。「感染症のない社会を作ろうとする努力は、努力すればするほど、破滅的な悲劇の幕開けを準備することになるのかもしれない」。この思いが全編を貫く主題だ。ここに至るまで数々の事例を挙げつつ結論に至るのだが、経緯は、本書を読んでいただく以外にない。 



断片的だが、更に一文を引く。(P-44最終行~P-45 4行目迄)

急性感染症を保有する社会は、その流行によって一定程度の人口が恒常的に失われる。しかし、生き残った人々は免疫を獲得し、獲得した免疫によってそれ以後の感染を免れる。  一方、急性感染症を保有しない社会―恒常的流行のない社会―では、感染症が日常的に被害をもたらすことはない。しかし、ひとたび感染症がその社会に持ち込まれた場合、その被害は、感染症を保有する社会とは比較できないほど大きなものになる。P-44 最終行~P-45 4行目まで)



生物多様性ほど怖いものはない。いのちを支えあうといえば、聞こえはいいが、裏返せば、あらゆる生き物が食うか食われるかの過酷で非情な世界に息づいているということだ。ヒトもウイルスも生態系の一員であることにかわりはない。オオカミがエゾシカの天敵だとすれば人類の天敵は感染症だといえるかもしれない。銃もお金も太刀打ちできない。武器とはならないのだ。世界の歴史とは、常に感染症ウイルスと人類との生存競争が織りなしてきた産物であることをこの本は教えてくれる。



たとえばハイチ。コロンブスの発見(1492年)により、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘や麻疹で免疫を持たない先住民族たちの人口は三分の一以下まで減少。同じように。インカ帝国も滅亡。旧世界と新世界の接触は「感染症をもつもの」と「もたざるもの」との遭遇であったという。


一方で、アフリカに進出したヨーロッパの前にたちはだかったものがマラリアなど土着の感染症。アフリカが「白人の墓場」と呼ばれるようになったのもイギリス出身者とアフリカ出身者の死亡率に200倍もの差があったことに理由があるようだ。  ヒトとウイルスのとの闘いに終わりはない。一つのウイルスが終息すれば、新たな別のウイルスが発現してくる。まるでモグラ叩きのようにこのシステムはとどまることなく続いていくというのが読後の感想だ。衝撃的だった本文の一部を引いて終わりとする。



「ペスト以降のヨーロッパ」(P-66 12行~P-67 14行)

ペストがヨーロッパ社会に与えた影響は、少なくとも三つあった。第一に、労働力の急激な減少が賃金の上昇をもたらした。農民は流動的になり、農奴やそれに依存した荘園制の崩壊が加速した。(中略)地代や小作料、穀物や家畜の販売収入が減るなかで、荘園労働者に支払う賃金が増加していることがわかる。その結果、労働者の購買力は上昇し、彼らはそれ以前には経験したことのない経済的余裕を持つことになった。第二に、教会はその権威を失い、一方で国家というものが人々の意識のなかに登場してきた。第三に、人材が払底することによって既存の制度のなかでは登用されない人材が登用されるようになり、社会や思想の枠組みを変える一つの原動力になった。結果として、封建的身分制度は、実質的に解体へと向かうことになった。それは同時に、新しい価値観の創造へとつながっていった。