循環型社会におけるエゾシカ皮革の利活用

SDGsへの取り組み  菊地 隆(2021.3.21)


SDGs」とは、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称。

・SDGs17目標のうち、本日のテーマに関わるものは⓬の「作る責任」「使う責任」である。エゾシカ肉の普及や皮革の有効活用が広がることで、農林業の被害が減り、生態系の保全に繋がるので「森の豊かさを守ろう」という目標⓯をも達成することができる。


SDGs目標のそれぞれは素晴らしい概念だが、一つの目標達成が他の概念にマイナス影響を与えていることも見逃すべきではない。たとえば、❼「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」⓭「気候変動に具体的な対策を」⓮「海の豊かさを守ろう」⓯「陸の豊かさも守ろう」…を目的に、現在、エコバッグが推奨され、ビニール袋が有料化されている。But これにより、ビニール製造業の雇用は減り、❶「貧困をなくそう」 ❽「働きがいも経済成長も」 という目標の達成は難しくなる。 アチラ立てればコチラが立たずという負の側面があることを忘れるべきではない。



エコバッグも沢山作られているが、用済みになった後はゴミが増えるだけということにもなりかねない。つまり、消費者は適度な加減が自分たちに任されているのだと気付かねばならず、少量の買い物の際には、ビニール袋を買わないなどの工夫が必要になりそうだ。矛盾なく世界中の誰もが実践できるのは⓱「パートナーシップで目標を達成しよう」ではないだろうか。これはSDGs遂行の環境を整えるため、皆で取り組もう、手伝おうということだから。


最近、衆目されているワードに「アップサイクル」がある。役目を終えたモノを別のモノに作り変えることであり、リサイクルとは似て非なるものといえる。当社では、使用済エアバッグにエゾシカ皮をプラスしたバッグを製作した(実物提示)。


講義中の菊地 隆氏の写真
講義中の菊地 隆氏

さて、日本で使われた最古の革は鹿革。武具、靴の内張などに使われた。次第に、使われなくなった理由は、食生活の変化にある。豚や牛などの肉食を日本人が好むようになったからである。肉が多食されれば、副産物の皮が増えるため、豚や牛などの畜産革に脚光が当たるようになる。ブタの革は現在、無駄なく利用されている。靴の内側にはブタ革が使われている。


一方、シカは野生。ダニが寄生して付けた傷。木の枝に引っかかってついた擦り傷。仲間うちでの喧嘩などで、引っ掻き傷が多い。銃弾が貫通した痕もある。つまり、一枚の革から利用できる部分は僅かである。シカ革が高額なのは、こうした理由がある。



西興部村前村長 高畑氏が撮影した写真
西興部村前村長 高畑氏 撮影

シカは日本中、沢山いるのに革製品になっているのは輸入革が多い(9798%)。日本の伝統文化である「甲州印伝」に使われるシカ革さえも輸入品である。海外の鹿は餌を与えられ、飼われているため、傷がない。一定の品質を有し、革になりたての状態で日本に入ってくる。鞣しから始めようとすれば、塩漬けにして水を抜く作業が必要となるため、輸入したほうが効率的だという側面がある。フィンランド、オーストラリア、中国、ニュージーランドなどからの輸入が多い。量産が進めば進むほど輸入が増えると思う。輸入品は手間もかからず、安く提供できるなど利点から量産に向いているのだ。



エゾシカバッグ・その他の写真
エゾシカバッグ・その他

日本列島には7種の鹿がいるが、本州以南の鹿はエゾシカよりももっと傷が多い。狭い場所を走り、雪が少ないためだ。革の質はエゾシカと同じ。


野生獣の革の魅力は、自分らしい自分だけのものができることだ。世界で一つ。野生獣には、個性があるので同じ鞣しをしても同じにはならない。「エシカルとサスティナブル」を兼ね備えた製品づくりこそ、SDGs⓬の理念に合致すると考え、これからもこだわっていきたい。     



甲州印伝の財布写真
甲州印伝の財布

現在、課題とされているのがカモシカの増加。山羊の種類で30年前に天然記念物となったため、狩猟の対象ではないからだ。 10年前の福島原発事故で置き去りにされた豚がイノシシと交配して生まれた「イノブタ」。放射能リスクにより、利用できず全量廃棄されているが、これも課題といえるだろう。

※日本列島7種の鹿:エゾシカ(北海道)・ホンシュウジカ(本州)・ツシマジカ(対馬)・キュウシュウジカ(四国、九州)・マゲシカ(鹿児島県馬毛島)・ヤクシカ(鹿児島ケラマジカ)・ヤクシカの体格は山羊と同様。



追記:2021.4.27のTVニュース。愛知県小牧市の市街地にニホンカモシカが現れたという。今後、人間が住むべき領域で、向き合わなければならない野生動物は増えていきそうだ。鳥獣保護管理法はH26に改正されたばかりだが、こうした状況の中、更なる改正が必要ではないだろうか。