◇◆エゾシカの食肉利用と食品衛生上の諸問題◇◆

(一社)エゾシカ協会 鳥取大学名誉教授 獣医学博士 籠田勝基


私たちの活動目的の一つは「エゾシカ肉を食べよう!」と社会に呼びかけていくことです。でも、どうしても「シカって栄養豊富って聞くけれど、野生の生き物でしょう。大丈夫なの」と不安がられてしまいます。大丈夫とは言えません。家畜ではありませんからね。そこで、専門家にお聞きしました。メリットもデメリットもしっかり知って、巧く活用していきたいものです。


 

 近年野生鳥獣による農林業被害が急激に増加し、その被害額は全国的には200億円に達している。このうち本道においてはエゾシカによる被害が2011年には60億円と推定されている。このような状況の下で、2008年には「鳥獣による農林水産業等に係る被害の防止のための特別措置に関する法律(鳥獣特措法)」が制定され、鳥獣被害防止のための各種補助事業が行われている。野生獣による被害は農林業被害にとどまらず高山植物の食害などによる生態系への影響も大きく、特に本道においては、エゾシカによる交通事故(2011年、 2306 件;道警本部資料)や1000件を数える列車事故(JR北海道資料)の発生などその影響は社会問題ともなっている。 


 このような野生鳥獣の増加の原因は複合的なものであり単純化は出来ないが、直接的には十分な餌が確保される環境と天敵の減少であろう。エゾシカについては、明治以降の北海道開拓の進行により、エゾシカの捕食者のオオカミの絶滅による生息数の増加と、和人開拓者による乱獲による数の減少および1879年豪雪によって絶滅寸前まで数を減少させたことはよく知られている。その後は数が減少すれば禁猟、増加すれば解禁を繰り返してきたが1980年代以降急速に生息数の増加を示して現在に及んでいる。


 このように増加したエゾシカに対する対策としては、禁漁と解禁を繰り返す様な場当たり的なものではなく、科学的な生息数のモニタリングのもとで個体数の調整すなわち捕獲を行って、その環境に適合した、人間との共生の可能な個体数を維持することである。このような目的のもとに北海道は「エゾシカ保護管理計画」(北海道環境生活部、2002年)を定めて、毎年個体数調査に基ずく計画的捕獲を実施している。 


 捕獲されたエゾシカは、有害鳥獣駆除の対象として廃棄物として見るのでなくむしろ森林から生産される優良資源として捉え有効利用を図ることが極めて重要である。従来エゾシカは趣味としての狩猟の対象であり、得られた肉はほとんど自家消費的に利用されるにすぎなかった。しかし近年の頭数の増加とともに、自家消費のみの利用には限界があり次第に食肉としての流通が行われるようになっている。と畜場法の対象外である野生鳥獣の肉が不特定多数の消費者に販売されれば、当然食品衛生上の各種問題が発生する。今回はこのような食品衛生上の問題を含めて、エゾシカの食肉利用に関する問題点について概説する。


◇エゾシカ有効利用の現状◇


エゾシカの捕獲数の推移は表1に示すように2009年以降は毎年約10万頭が捕獲されている。これらの捕獲頭数の中で、食品衛生法で定める食肉処理場を経由して処理された頭数は1万数千頭で捕獲数の10~15%に過ぎない。捕獲後回収不能で野外に放棄されるものおよび自家消費されるものを含めても、捕獲数の85 %,7~8万頭の利用状況が明らかでないのは問題である。もしその中に流通販売されているものがあるとすれば食品衛生の観点から看過できないことであり速やかに実態を明らかにして対策を講じなければならない。近年ペットフードの原料として主に有害鳥獣駆除で捕獲された個体が利用されているが、その数の詳細は明らかになっていない。



◇野生動物の食肉利用に関する規制・規範


 シカおよびイノシシ等の食肉として利用される野生動物は、と畜場法の対象外であり補殺、解体に対する法的な規制は存在しない。わが国では、と畜場法に定める獣畜(牛、馬、豚、めん羊および、山羊)および食鳥以外の動物を食肉として販売する場合は食品衛生法の規定により、食肉処理業の許可を受け、さらに都道府県の食品衛生法施行条例の定める、施設、設備及び衛生管理の基準を遵守することが定められている。以上のように法律的には、食肉処理業の許可を受け、一定の衛生的な基準を満たした施設、工程のもとで処理された食肉以外は販売されることはないということになる。


(1)  FAO/WHOによる規範


 国際的には、FAOとWHOが合同で策定した、食肉の衛生管理に関する規範[1]が示されており、この中で野生動物についても定めている。これは現在野生動物の食肉利用における標準となるガイドラインでありその概要は以下のとおりである。

① 野外で捕殺された野生動物は、ハンターが、当局が定める範囲で可食部の汚染を最小限に抑える手法により、放血、

      一部内臓の摘出と体の冷却を目的とした消化管の摘出)を行うことが認められている。

 

② と体を食肉処理施設に搬入して解体する前と剥皮の後に、有資格の検査員よる検査を受ける。この検査では、ハンタ

  ーからの情報を重視し、野外での捕獲時に特有の異常を見つけることに重点を置くべきで、死んだときの異常の有無

  (自然死や瀕死の状態でなかったか)や捕獲場所の地理的位置、銃弾による損傷や腐敗、毒物や環境汚染物質による

  中毒などに焦点を当てて検査する。検査のために必要な臓器、心臓、肺、肝臓、腎臓、脾臓などはと体に残すか容

  器に入れて持ち帰ることとしている。また各臓器の検査方法についても示している。

 

③    当局が定める時間内に処理施設に搬送し、速やかに冷却する。

 

④    ハンターや解体処理に関わるものは、食肉衛生に関する十分な教育と訓練を受け試験を行って専門家としての資格を

  与えることを提言している。


()英国およびEU諸国


FAO.WHOの規範に基ずく野生シカの衛生的管理が最もよく行われているのはEU諸国であり、特に英国ではシカ関係の法律も整備されて、シカ肉の検査体制が確立している。有資格者の検査員により,食肉適と判定された枝肉には検査員のサインの入ったタグが付けられて流通する制度となっている。この間の事情については鈴木[2]および松浦と伊吾田[3]により詳細に紹介されている。


◇エゾシカ衛生処理マニュアルと認証制度◇


野生動物について、牛、豚、食鳥のように個体ごとの検査が義務づけられていない我が国においては、野生動物の肉の安全性を担保するためには、自主的な方法でこれを行なわねばならないことになる。 

 北海道は1980年「野獣肉の衛生指導要領」を衛生部長通達として発表した。この中では、捕獲した動物はそのまま、食品衛生法に基づく、食肉処理場に搬入し、食品衛生法施行条例に定める公衆衛生上講ずべき措置を遵守することとしている。しかしこの要領は何ら法的な拘束を持つものでないため実際に食肉処理業者およびハンターの間でどれだけ認識され守られているかははなはだ疑問である。


食肉として流通の経路に乗れば、食品衛生法の規制のもとにおかれるが、捕獲、解体の段階では法的規制を受けることがない。また解体処理の工程についてもと畜場の様な具体的な基準は定められていない。そこで北海道ではエゾシカ肉の安全性を確保するため、2006年に「エゾシカ衛生処理マニュアル」を策定して、食肉処理業者への普及を推進している。同様のガイドラインの制定は兵庫県[4]、長野県[5]などでもおこなわれている。


マニュアルの内容は、現在と畜場で行われている衛生管理法を基本としたものである。とくに従来のハンターに比較的欠如していたと思われる、被毛、消化管内容物による汚染、使用器具、作業者の手指からの汚染防止の為の洗浄、消毒などを重視したものとなっている。

基本的にはHACCPの考え方によるものであり、捕獲個体の個体記録と異常確認や処理作業、施設設備、及び処理作業者の点検記録を行うこととしている。とくに個体記録は、捕獲地、捕獲者を明らかにして所謂トレーサビリテーを担保するものである。このマニュアルによる処理が忠実に行われるならば、食品の衛生管理の認証制度である「北海道HACCP自主衛生管理認証制度」に合格する可能性を持つものであるが、このHACCP制度は、原料肉から加工製品までに適用され、現在のところ解体処理工程は含まれないので、この点についての改善が必要である。本マニュアルは、あくまでエゾシカの処理業者に対する指針であり、自主的に行われる衛生管理である為消費者サイドからエゾシカ肉の安全性を保障する客観的な制度が必要と考えられる。このような状況の下で、2007年、社団法人エゾシカ協会により「エゾシカ肉認証制度」が創設され、2011年末現在9箇所*の処理場が認定されている。  *2016年1月14箇所


認証の条件は以下のとおりである。

①    「エゾシカ衛生処理マニュアル」に準拠した処理を行う。

②    処理工程表と作業手順書の作成

③    各種点検記録表の記載と保存。(個体記録、異常確認記録、出荷記録、冷蔵庫温度記録その他)

④    トレーサビリテー用のサンプル肉の冷凍保存

⑤    処理工程および施設設備の衛生状態のの立ち入り検査

⑥    枝肉表面の細菌のふき取り検査

 

以上の項目について専門家(獣医師を含む)による委員会で合否を決定する。

合格した処理場には認証シールの使用を許可する。 

 「エゾシカ衛生処理マニュアル」と他の法律との関係を図1に示した。またその詳細は井田と近藤[6]により解説されている。