シカを介する人獣共通感染病で、世界的に重要視されているものと現在日本において発生しまた発生を予想して、予防を考慮すべき疾病を表2に示した。表に示した以外にも、ウイルス病として、口蹄疫、細菌病として、炭疽ブルセラ症、エルシニア症、放腺筋症およびダニ媒介性のQ熱などが挙げられている。
これらの感染症は、解体時の目視検査で発見することは困難である。従って重要な疾病については定期的に抗体検査などのモニタリングを行い、シカ集団への浸潤の動向を把握しておくことは極めて重要である。
人獣共通感染症とは異なるが、牛と共通の感染症として、パラインフルエンザ3型、牛RSウイルス、アデノウイルス7型などのウイルス病の抗体および小型ピロプラズマがエゾシカから検出されている。牛舎周辺および放牧地への出没が常態化している現状を考えれば、エゾシカの牛感染病の媒介者としての役割についても検討が必要であろう。
逆にエゾシカが牛から被害を受ける可能性が考えられる疾病として、ヨーネ病がある。ヨーネ病は、ヨーネ菌の感染により牛、めん羊、山羊などの反芻動物に慢性の肉芽腫性腸炎により慢性の難治性の下痢を起こす疾病である。人に感染することはなく、公衆衛生上の問題は起こらない。しかし現在わが国では毎年約200頭の牛が、家畜伝染病予防法によって殺処分されており、細菌性の法定家畜伝染病の中では最も被害の大きい疾病となっている。
本病が牛群の中に発生するとその撲滅はきわめて困難である。本病が放牧牛からシカへ感染する可能性は否定できない。一度シカの集団の中に本病が侵入すると、大きな被害を蒙ることになる。本病の特徴は、慢性の下痢と削痩であり、解剖所見では腸間膜リンパ節の水腫性腫脹と腸管粘膜の高度の肥厚である。本病のシカ集団への侵入を防ぐために解体前の検査で下痢、削痩を認めた場合は、解体後の検査で腸管の所見に注目し、異常あるときは、保健所及び家畜保健衛生所へ連絡して専門家の判定を受けることが望ましい。
以下にエゾシカで、公衆衛生上問題視される疾病と、解体時によくみられる寄生虫について解説する。
E型肝炎ウイルス(HEV)の感染によって起こる急性肝炎で、発症すると慢性化することはない。臨床症状はA型肝炎に類似し、高率に黄疸を伴う。平均6週間の潜伏期を経て、発熱、悪心、腹痛などの消化器症状、肝腫大、肝機能の悪化(トランスアミナーゼ上昇)が出現し、大半の症例では安静臥床により治癒するが、まれに劇症化する例もある。特に妊婦では妊娠第3期に感染した場合劇症化する例が報告されている。罹患率はA型肝炎と異なり大人で高く小児では低いとされている。若年者への感染では不顕性感染が多いとされている。感染は、経口感染で(B,C,D型では血液からの感染)、糞便による飲料水の汚染による大流行が、インド、北アフリカ、メキシコなどで報告されている。
日本では、2003年に、野生イノシシの肝臓の生食によると思われる発生例が、また同年8月に野生の鹿肉の刺身からの感染が兵庫県で確認されている。2004年に北海道において、加熱不十分な豚レバーの採食による発生があり、この例では同一の豚レバーでも十分に加熱して採食した家族では感染しなかったことが明らかにされている。以上のようにHEVは食肉を介した人獣共通感染症であるが、日本では野生のイノシシが原因となることが多い[7]。
HEVは通常の加熱調理で感染性を失う。野生のシカやイノシシの肝臓および肉については十分な加熱処理を行えば感染の危険はない。
北海道の野生エゾシカについて行ったHEVの抗体の調査でELISA値の上昇を示すものも認められるが感染は確認されていない。
しかし、豚における感染が確認されているので、シカの肝臓及び肉の生食は行うべきではない。
CWDはBSEと同様にプリオンと呼ばれるたんぱく質が原因である。BSEの場合はこの異常プリオンを含む臓器(中枢神経及び腸管リンパ節の一部)の混入した肉骨粉を含む飼料の給与が原因として強く疑われている。このようなプリオン病がシカに発生した原因は全く不明であるが、羊のプリオン病であるスクレーピーからの感染も疑われている。またCWDのシカの間での感染様式も不明であるが感染雌鹿の後産による土壌や牧草の汚染を感染源とする可能性も疑われる。
BSEが人の変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(v-CJD)の原因となる可能性が極めて高いことから公衆衛生上の大問題となっている。CWDの人への感染例は現在までに報告されていない。CWD感染シカの脳乳剤の牛の脳内接種によって牛を発症させたという報告があるが現在までに自然の状態でシカ以外の動物への感染は報告がない。
世界的にCWDの発生は北アメリカとカナダに限られているが、2001年韓国がカナダから輸入したエルクでの発生があり[8]2004年にも再度発生している。このようにCWDの日本での発生の可能性は現在では非常に低いものと思われるが、今後養鹿が行われる場合、国外からのシカの輸入は厳しく制限すべきものと思われる。動物衛生研究所が、8年間にわたり全国的に行った調査では、ホンシュウシカ、エゾシカ合計1251頭すべて陰性であった。
年間の発生件数 1,000〜2,000件、患者数 3〜4万人に達するわが国の食中毒の70%以上が細菌性であり、さらにその80%近くが動物の腸管由来の細菌によって占められている。即ち、毒素産生性の大腸菌O-157を含む病原性大腸菌、サルモネラ菌、カンピロバクター菌、ウエルシュ菌およびエルシニア菌がそれに該当する。これら細菌による食中毒の原因にシカ肉がなる可能性は、E型肝炎やCWDなどよりは極めて高い確率を有するものと考えられ、大腸菌0-157は牛やシカの腸管内に常在するとされている。エゾシカ肉の生食による0-157中毒例は本道でも報告されている。これら食中毒の症状は、腹痛、下痢、嘔吐、発熱などであるが、中には発疹や筋肉痛などを示すものもある。また病原性大腸菌O-157の感染では血便や重篤な腎障害なども発生し、死に至ることもある。最近発生した漬物による集団中毒は記憶に新しい。
これらの食中毒菌の汚染を防ぐためには、解体処理及び食肉処理工程の徹底した衛生管理、特に消化管内容による汚染防止が要求される。これらの細菌は何れも加熱によって死滅する(O-157は75℃1分で死滅)ので生食及び不十分な加熱調理は避けるべきである。今までに牛の生レバーや牛ホルモンによるO-157中毒の発生例が報告されている。
これら細菌のエゾシカからの分離は、1996年に十勝地区のエゾシカよりO-157を分離した報告がある。また1997年に同じ十勝でシカの糞便から病原性の大腸菌O-111が分離されている。最近の調査では、釧路、根室地区の約180頭について行った細菌検査では枝肉の拭き取り検査で、これらの食中毒菌は検出されず、一般細菌数も、と畜場での牛と同程度のものであった[9]。
以上のことからも処理場においては、枝肉のふき取り検査による細菌検査を定期的に実施することが望まれる。
ブドー球菌は人を取り巻く環境や、各種哺乳類、鳥類に広く分布し、特に健康な人の鼻腔、咽頭、腸管などに広く分布し、健康者の20〜30%が本菌を保有しているといわれている。
過去には食中毒の30%を占め,おにぎりがその最大の原因食品であった。そのほかにケーキやサンドイッチなどが重要な原因食品である。ほとんどの場合、これら食品を調理する人の手や指からの汚染である。
本菌の中毒の特徴は、菌そのものの感染ではなく、菌が食品中で増殖する際に産生するエンテロトキシンという毒素の摂取によって起こる。この毒素は、蛋白消化酵素や、熱に対して抵抗性を有していて、食品の加熱調理によっても活性は消失しない。このような性質のために2000年には加工乳を原因とする、1万名を越える集団中毒が発生している。
本中毒は、原因食品を採食後約3時間で、激しい嘔吐、腹痛、下痢が見られ、重篤な場合は発熱やショックを伴うこともある。
本中毒の予防のためには、解体処理工程の衛生管理を厳重に行うとともに、作業従事者の手洗いの徹底と、手指に傷や化膿巣のある人は作業から除外すべきである。帽子やマスクの着用も大事である。食品に付着したブドー球菌は急速に増殖するので、解体処理後の枝肉や部分肉は室温に放置することなく速やかに冷蔵及び冷凍を行う。また低温から室温に出した場合調理までの時間をなるべく短くすることが重要である。
現在まで、シカ肉を原因とするブドー球菌中毒の報告はないが、処理場以外でも、食品加工場や厨房などにおいても本菌汚染の機会は高いものと思われる。
肝蛭は吸虫類に属する寄生虫で、反芻獣の肝臓内胆管に寄生する。肝蛭の生活環は、終宿主の糞中に排泄された虫卵が水中で孵化し、中間宿主の、淡水産巻貝のヒメモノアラガイに摂取され、貝の中で増殖して、セルカリアさらにメタセルカリアといわれる一種の幼虫となって水中に泳ぎだし水辺に生える草の茎に付着して終宿主に採食され感染が成立する。シカの肝蛭に対する感受性は、羊とともに牛よりも高く、多数寄生によって極度の削痩、披毛の粗剛、発熱などの症状が現れる。
道東方面で捕獲された個体には、かなり高率(約40%)に肝蛭の寄生が認められ、同じ地区の牛の寄生率よりも高い値を示している[9].
肝蛭の人への感染報告も存在するが、メタセルカリアの混入した水や芹のような水辺の山菜の摂食以外には、感染の可能性はきわめて低い。また処理場では肝蛭寄生の認められた肝臓は全て廃棄され、さらに肝の加熱調理によって人が感染する可能性はほとんどないものと思われる。本寄生虫は地域によってはシカが高い寄生率を示しており、今後はシカに被害を与える寄生虫として注目すべきものと思われる。肝蛭と同様に胆管寄生で同じような生活環を有する槍形吸虫が、岩手県のホンシュウジカで、69.1%と高率に検出されているので今後は注意が必要である。
住肉胞子虫は、原虫のコクシジュウムの一種で、人を含む霊長類、肉食動物(犬猫)、猛禽類及び爬虫類などを終宿主として、その腸管粘膜内に寄生する。終宿主に捕食されるげっ歯類、草食動物を中間宿主とする。これらの中間宿主に感染すると、筋肉中にシストを形成し,大型のシストは肉眼でも観察される。牛では感染して筋肉中にシストを形成する前に、発熱、下痢、貧血、脱毛及び全身臓器の出血などの症状を示す例もあることが知られている。人に感染して中間宿主のように舌、心筋などにシストが形成されること(リンデマン肉胞子虫)が知られているが感染例は極めてまれである。シカで発見されるシストから人への感染が起こるかどうかも不明である。筋肉、心臓、横隔膜などは十分加熱して調理することが大事である。
最近馬肉の生食による食中毒で、住肉胞子虫が原因となることが確認され,筋肉内で増殖したブラデゾイトの持つタンパク質が毒作用を持つことが確認されている[10]。エゾシカに高率に寄生している住肉胞子虫が馬肉に寄生するそれと同一か否かは明らかではないが、食中毒の可能性は高く、シカ肉の生食は危険で、加熱処理を厳守すべきである。
シカは結核菌に対する感受性が極めて高い動物とされ、外国では、野生及び養鹿のシカで一般的に認められる疾病とされている。ニュウジランドではシカ肉の輸出に際して、結核陰性であることの証明書の添付が義務づけられている。わが国では、牛の結核が公衆衛生上の重要疾病であり、家畜伝染病予防法によって摘発淘汰を繰り返した結果、現在では乳牛の発生は認められなくなった。しかし時に肉牛での集団発生があり、本道でも1981年に放牧牛の集団発生が報告されている。
日本のシカにおける発生は1988年青森県の養鹿場で輸入したシカでの集団発生が報告されている。日本の野生シカでの発生の可能性は低いと思われる。
エゾシカ肉の有効利用のために、いかにして食品としての安心、安全を保障すべきかについてその問題点を概説した。エゾシカは牛、豚などの家畜のように各種制度、規制により安全性が担保されてはいないが、食品衛生法を中心とする現行制度の中でも安全性はかなりの程度担保される筈である。しかしながら法的拘束力を持たない規範、ガイドラインなどは、関係者の意識の如何によっては、何の意味も持たないこととなる。
安全な食品を消費者に届けるという強い意識が関係者間で共有されなければならない。
そのためにも当面「エゾシカ衛生処理マニュアル」の厳守と、処理場での異常発見の可能な専門家の育成が課題であろう。
参考文献
[1]FAO/WHO:Codex alimentarius commission,proposed draft code of hygienic practice for fresh meat(2005)
[2]鈴木正嗣:欧州委員会(EC)の規則に準拠した英国のHACCPモデル、獣医畜産新報(JVM),65,455-458(2012)
[3]松浦友紀子,伊吾田宏正:英国の一次処理と資格制度、獣医畜産新報(JVM),65,451-454(2012)
[4]横山真弓:安全と高品質を目指した兵庫県のシカ肉活用の取り組み、獣医畜産新報(JVM)、65,464-468(2012)
[5]長野県衛生部、林務部:信州ジビエ衛生管理ガイドライン、信州ジビエ衛生マニュアル(2007)
[6]井田宏之、近藤誠司:エゾシカ衛生処理マニュアルの意義と認証制度、獣医畜産新報(JVM),56,459-463(2012)
[7]前田健:シカ肉処理の注意点Ⅰ-ウイルス、細菌―、獣医畜産新報(JVM),56,469-473(2012)
[8]Sohn,H.J.,Kim,J.H.et al:A case of chronic wasting disease in an elk imported to Korea from Canada.J.Vet.Med.Sci.64,855-858(2002)
[9]荻原弥生,内田有他:エゾシカの処理実態及び疾病状況調査,北獣会誌、46,35-39(2002)
[10]鎌田洋一:馬肉に含まれるフェイヤー住肉胞子虫による食中毒、北獣会誌、56,446(2012)
平成30年4月13日 農水省プレスリリースによると、農水省はフィンランド共和国(以下、「フィンランド」という。)における、シカ科動物の伝達性海綿状脳症(TSE)である慢性消耗病(CWD)の発生確認を受けて、直ちに同国からのシカ科動物及び同科動物由来畜産物の輸入を停止したとのことです。
経緯:フィンランドの野生ヘラジカにおいて、シカ科動物の伝達性海綿状脳症(TSE)である慢性消耗病(CWD)の発生が確認された旨、平成30年4月13日(金曜日))、フィンランド家畜衛生当局から情報提供があったため。なお、同国からのシカ科動物及び同科動物由来の畜産物について、我が国への輸入はない。
(参考)シカの慢性消耗病(CWD)とは
・家畜伝染病である伝達性海綿状脳症(TSE)の一種で、シカ科動物に感染するプリオン病。
・1967年に米国コロラド州で初めて確認され、これまでに、米国、カナダ、韓国及びノルウェーにおいて発生が確認されている。我が国での発生は確認されていない。
・なお、本病がヒトに感染するとの報告はない。
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