某新聞で目にしたコラム。幻の鳥といわれる「ケツァール」が人里で暮らし始めたという。
書き手の高砂淳二氏が(写真家)が綴る。「頭から長い尾にかけては、まるで翡翠のような美しいグリーンの羽をもち、お腹は鮮やかな赤、そしてくちばしは朱色に近い黄色と、作り物のような美しさを持つ鳥、ケツァール。そのあまりの絢爛さから、世界一美しい鳥といわれている」。さすがは「火の鳥」のモデルだ。その美しさは想像に余りある。「ケツァールは飼いならすことが困難で「自由」を象徴する存在としても知られる。中米の標高の高い雲霧林の高木を住処とし、見つけにくいことから、「幻の鳥」ともいわれてきた(原文)」。
その鳥がコスタリカ(中米)の或る場所に住み始めたというのだ。
最適の住処から、人目につきやすい民家の近くに居を移したのは何故なのか。
その理由を、現地ガイドは「人間が危害を加えないことが分かり、むしろ人間の傍にいた方が天敵から身を守れると判断したようだ(原文)」と高砂氏に説明した。コスタリカは自然保護運動の旗手として知られるが、気になるのはガイドの次の言葉だ。「いくつかの動物は少しずつ人間に近い場所で暮らすようになってきているようだ(原文)」…。
書き手は「人の自然への向き合い方次第で自然も変わってくるという意味深長な逸話だった」と書いてコラムを終わる。読み手には複雑な思いが残された。
人を恐れなくなった動物たちはエゾシカやヒグマだけではない。人間世界に歩を進める動物たちは確実に増えている。単一エリアで動物と人間が共生することは今後も可能なのか。
そのバランスを知りたい。野の者は野に帰り、「幻の鳥」は幻であり続けて欲しいと願うのは、もしかしたら人間側のエゴなのだろうか。